輝々凛々

ガンバるってことは、素晴らしい事だ。

就活日記まとめ

 と、題しまして私reshiaの就職活動をまとめてみたいと思います。
 私は、某三流、大学院に在籍していまして、コンピュータ、特にソフトウェア分野の研究をし、またその関係で職を食に当てる予定で就職活動を始めましたことをまず始めに書いておきます。
(超長文&駄文です)
修正:会社名を一部公表@2005年11月29日

 就職活動を始めた時期というのは、明らかに学部の3回生、つまり社会人となる予定の2006年から換算して3年前の2003年の1月のことでした。初めは、大学で行われた企業説明会に参加してみて「え、こんなもんで・・」というふうに就職活動に、というかSE(システム・エンジニア)になることに対して深く抵抗を感じただけで、まず最初の一社の説明を受けた時点で敗戦処理モードに入っていました(事実、大学院に進学したわけですし)。
 ところが周囲は、どんどんとリクナビや毎ナビなどからエントリーを繰り返し、やれ筆記だ面接だと忙しそうに就職活動をしていました。このときの私の心境は「なんで名前も聞いたことのない会社に行けるんだ」と思うだけで、まったく就職活動をしようという気持ちはありませんでした(FFX-2で遊んでたし)。
 しかし、就職活動をしないとなると、フリーターという道に入ってしまいます。ところがプログラマがフリーターをやっていっても、自分の勉強に費やす時間がどんどんなくなるだけで、このままじゃダメになる、と考えていたと思います。
 そこで大手何社かを受けてみましたが、元々、就職意識が低いのでエントリーシートの段階で落ちていました。そんなことを繰り返しながら結局10月11月と卒業の時が迫ってくると今度は、卒業研究が目先の仕事となってしまい、就職活動なんてものはしなくなりました。
 結局、大学院へと進学しましたが、このとき心に決めていたことがあります。「自分のやりたい・合ってる仕事に就くための努力をするために進学しよう」まさにこの一言に尽きます。ただこのために進学しただけです。研究がやりたいなんていう気持ちは微塵もありませんでした。ですから、進学試験での面接時も、「自分が進学するのは就職のためです」とハッキリと言っていました(試験での結果が良かったためにこんなことを言っても合格。普通なら落ちるかも)。
 さて、大学院に入ってまずしたことは今までオロソカにしてきたプログラミングの基礎と応用部分の習得でした。それをじっくり8ヶ月かけて行い、人に見せれる程度のプログラムは書けるようになったつもりです。この8ヶ月の間「自分への投資」として本を幾冊か買い、それで勉強したりと色々と自己改革に挑んでいました。
 12月に入ると、就職活動を意識する時期です。この時期に入る前から「何かひとつプログラムを作っておいた方が良い」という気持ちがありましたので、いろいろと何を作ればウケるか、そしてそれが自分に作れるのかを考えていました。
 結局のところ2つほど、人に見せられる程度のプログラムを作りあげました。実際これらは役に立ち、後々の面接で、これら2つのプログラムのことを必ず聞かれるようになりました(ので、面接対策がたてやすい)。
 さて、2月に入り初めての説明会に行きました(たぶん遅目)。2月18日、場所は100キロほど離れた工業団地(ただし廃棄にかなり規制がかかっていて綺麗なところ)で、キャプチャカードなどの開発を行っておられるカノープスさん。説明会は、一切選考には関係ないとのことでしたが、実際のところアンケートという名のエントリーシートをその場で書きました。この説明会に行ってよかったな、と思うことが、現場を見たいって気持ちがありましたから、会社の建物内を見学させてもらったことです。
 次は、一番初めにエントリーをしたB社さんの説明会&適性検査。これは2月28日に東京で行われ、私自身、中学生以来10年振りの上京となりました。このB社さんへのエントリーはリクナビや毎日就職ナビなんかを使わずに、B社さんのホームページからエントリーしました。後に、このB社さんに内定をいただくことになります(ので、名前は伏せておきます)。
 このB社さんへのエントリーは、1月10日ぐらいに行い、その後、2月28日まで何の連絡もなかったのかというとそうではなく、それまでにB社さんのホームページを見て、会社のことを覚えてくれ、という内容のメールと、私自身のことを知りたいので、履歴書とか何か作品があれば送ってくれと言われ、せっせとプログラム作りに勤しんでいました。結局、これらの書類を送ったのは2月に入ってからで、ひと月あまり時間が経ってしまっていました。ですが、実際問題、中途半端なプログラムを送っても仕方がないですのでここまで先延ばししていたのです(が、事実は「怠慢」)。
 カノープスさんの説明会からB社さんの説明会までの間に、実はコナミさんに提出する締め切りが3月3日のエントリーシートを書いていました。こちらはスポーツクラブも経営しておられる大手ゲーム会社さんで、何の因果か後にコナミさんの説明会や面接は常に他企業の日程とカブっているという状態でした(後述)。
 さて次は、3月1日の大手プリンタ・デジカメ開発のキヤノンさん。こちらは説明会でした。これは選考には関係ないものの、参加必須でした。しかし私の感想は「参加しないほうが良かった」でした。どうも説明会の話を聞いていると「硬い」。「終身雇用」というのは、理工系には、ただの「シバリ」でしかないのです。理工系はどんどん転職して給料を上げていくのが普通のやり方で、自分の腕一本で給料を上げるのは、本当に実力がいります。100人もの新卒の中で、自分の実力とかヤル気を見せることが難しいことは想像できることです。
 次は、3月8日に受けたゲームセンターも経営しているスタイリッシュクレイジーなカプコン社さん。2年前にも実は受けています。説明会+筆記試験でしたが、2年前とそれほど内容は変わらなかったので予備知識があり、非常に優位に進められた感があります。アンケートという名のエントリーシートと履歴書も同時提出でした。
 翌日、3月9日には因果なコナミさんの説明会+筆記試験が東京で行われました。前日のカプコンさんは大阪です・・ぁぅ。実は、本当は3月10日だったんですよ。ところがその日には後述するフロム・ソフトウェアさんの説明会が行われる予定でしたので、「何とかならんか」というメールをコナミさんに返したら、「9日なら」というメールが返ってきて「じゃあそれで」ということになりました。というか、このコナミさんに送った書類は選考だったんだということを説明会の案内メールをもらって気づきました。そのメールには「審査の結果、書類選考通ったよー」と書かれてありビックリ。いやぁ良かった。
 そして翌日の10日には、ふたたび大阪で、超破壊エクスタシーなゲームを作っておられるフロム・ソフトウェアさんを受ける・・・予定だったんですが、本当に何の因果か、コナミさんに返した「9日なら」メールの返事が届かないものだから、仕方なく3月30日に会場変更して名古屋行きに変更してしまったのでオフになっちゃいました。
 次、翌週の月曜14日は大阪で、私の嫌いなSE、しかも「SE集団」とあおり文句をかかげた富士ソフトABCさんの説明会+筆記試験。この説明会を聞いていて、どうも説明が下手くそで「SEってウサンクサイなぁ」というイメージが出来上がってしまいました。でも、元々、この富士ソフトABCさんは「踏み台」でした。ようは、他の会社を受けるために人身御供になっていただくために受けたようなものです。なのに、この14日には既に筆記試験も受けていましたし、次の面接も決定していて、既にこの富士ソフトABCに対する利用価値はなくなっていましたが、「自分の価値」というやつを見極めるためにも筆記試験も「受かるように」回等し、筆記試験に通りました。が、今後、この会社さんの面接などは受けに行く機会がありませんでした。合格した筆記も、面接の予約をせずに断りました。
 翌日15日も大阪で、今度は会社名の頭にSEとつくもののSE関連ではないゲーム会社セガさんをウケに・・おっと受けに行きました。こちらの会社さんもカプコンさんと同様、2年前にも受けていますので試験対策をばっちりして乗り込みました・・が、なんと驚きの事実が発覚します。試験の解答用紙を見て「!」。実は、これB社さんで受けた試験と同じ「CUBE」という試験問題の解答用紙だったのです。「まさか、同じ問題!?」なんて思ってる私にさらに追い討ちをかけるかの如く問題は配られ「・・・イッショジャン」、そう全く同じ問題が配られて私は「ニンマリ」。これたぶん数学なんかに関しては満点だったかと思います。ま、当然の如く試験には通りました。
 翌々日17日には今度は因果なコナミさんの人事面接が東京で行われました。今度の因果は、大学。大学で研究の進捗状況を発表する日だったのです。ま、それは進捗報告会を休めてラッキーでしたけど。 コナミさんの面接は、開始時間を30分ほど遅れた上に、私自身の面接時間は5分ほど削られた感があった上にさらに、結果発表まで3週間かかるとの御達し。ヤッテランネー。一応、受かりましたが・・。
 翌日の18日には、B社さんの面接が、これまた東京で行われました。こちら一次面接にも関わらず「交通費支給」ありがたかったっす。しかし、面接はというと1時間近くもあり疲労困憊。うぅ、東京に生まれたかった・・と思いながら下京・・とは言わないか。ま、コナミさんの自腹交通費は、B社さんの至急交通費で賄えたので、ラッキーでした。
 翌週の21日は春分の日の代休でお休みでしたが、実はこの日と翌日で書類締め切りとなる会社さんが二社ありました。一社は宇宙開発関係の独立行政法人JAXAさん、もう一社ハ、、ワスレマシタ・・(ゲーム関係だった)。結局、悩んだ挙句、どちらにも書類は送りませんでした。宇宙開発の方は、ちょっと興味あったものの、自分がプログラマとして、そこで働いて宇宙に行けるかというとそうでもないような気がして諦め、もう一社は、何かどうも自分が行きたいと思えなくて諦めました。
 さらに23日には・・、大学の大掃除でした。夜9時ぐらいまで大学で掃除掃除でした。
 24日には、カプコンさんの一次面接でした。こちら面接ではいきなり開発職の方の面接でしたし、事前通知なしの集団、といっても2名での面接でしたから色々と困惑しました。何より、一緒に受けた方が私よりも明らかに3Dプログラミングの経験も知識もありましたので、「あちゃーこりゃダメだなぁ」なんて思いながら帰りました。ですが、結局はこちらの面接も難なく通り、いや難があったから連絡が遅かったのか? なんて思いつつも通っていました。
 さて翌25日には、ふたたび大阪で、えーっと何だっけナムコさん、特徴は・・。クイズに答えて子育てしよう、というヘンチクリンだけど面白いゲームを出しておられる会社の説明会というの名の「エントリーシート取りに来んかい」という催しでした。本来はバッチリスーツで行くべきなんでしょうが、説明会のあとに京都でアルバイトの飲み会なるものがあったのでバッチリ私服で一人浮いていました(ぽか~んと)。ま、このナムコさんの説明会は今までの説明会より遥かに面白かったです。ただし、ナムコさんにエントリーシートを出すことはありませんでした。
 翌週の月曜28日には東京で、セガさんの集団面接が行われました。そのとき同時に最終面接が隣部屋で行われているというアクロバティックな催しでした。この面接でもヘコんだことが、やはり3D関連のことでした。やっぱりやらなアカンなぁと思い、この帰りに神保町によって本を物色し、DirectXの本を買うのでした。
 さて翌日29日には当初、B社さんの最終面接が控えていましたが、こちらはB社さんの都合でポシャり、4月1日に延期されました。これさえ延期になってなきゃ、3月中に内定だったのに。それに東京で連チャンっていうのは金銭的にオイシイので良かったのですが、結局28日分は自腹という形になっちゃいました。
 30日には、前述のフロム・ソフトウェアさんの説明会・・だったんですが、29日にWEBを見ていたら、31日の大阪会場に空きが出ていたみたいで前日ながら変更させていただきました。その代わり、30日にはバイトを入れるのでした。
 というわけで31日にフロム・ソフトウェアさんの説明会が大阪梅田スカイビルで行われ、なかなか楽しませていただきました。なにより、社長さん自らのお話も聞けてゲームの企画書なんかも見せていただけ、なかなか好印象のフロム・ソフトウェアさんでした。
 そして運命の4月1日、2005年度のスタートの日であり、史上最悪の慣習エイプリル・フールの日でした。この日、東京へ旅立つために駅へ向かい一路西へ行き、新幹線に乗る予定でしたが、交通費支給のための印鑑を忘れてしまい、隣駅で折り返しJR駅員のムカつく態度に我慢しながら帰宅、ふたたびGOで40分のロス。元々、渋谷で買い物できるタイミングで家を出ていたので何とか無事に間に合いはしましたが、JRの駅員が・・・えぇい、これ以上言うまい。
 そんなこんなで面接開始。1時間20分に及ぶ面接は、どうにかこうにか最後に「異例ではありますが内定!」の一言で幕を降ろしたと同時に私の就職活動も同時に巻く引きとなったわけです。
 その帰りには友人にメールを送り、母親に連絡を取り、友人からメールの返事をしたり電話が掛かってきたりとしながら、19時半に地元で予約した歯医者に間に合うように帰っていくのでした。ぐすん、買い物できなかった。
 翌日には、他社さんの面接予約などをキャンセルしたり、メールでお断りを入れたり、リクナビと毎ナビの登録を抹消したり、大学に報告に行ったりとなかなか忙しい一日を過ごしました。

 長々と書き綴りましたが、
 最後に就職活動をした帰りに私が意識していたことを

「家に帰るまでが就職活動です」
関連記事

ツッコミの投稿


(ツッコミ非公開の場合はチェック)