輝々凛々

ガンバるってことは、素晴らしい事だ。

[UI/UX] ただ使えればいいというわけではない。

ユーザーにとってはUIがすべて:UIデザイン原則をソシオメディアが語る」で、超ウケるんですけどー。記事内のソシオメディア取締役、上野学氏の発言がよ(以下)。

エレベータの内部にはそれなりに複雑なしくみがあるはずだが、ユーザーにしてみれば内部でどのような働きがあって動いているかを気にする必要がなく、シンプルな体験で合目的的に利用できる

あんなインタフェースごときを良い例として挙げるなんてどうかしてるよ。あんなの、外部仕様をそのまま形にしただけじゃんか。「8階に行きます」、「ドアをすぐ閉めたい」、「ドアを開けたい」ってのをそのままボタンにしただけ。ボタンの配置は、自然と下から上へ並べただけ。超高層ビルだと回数ボタンが複数になってたりするし。

さ、どこが素晴らしいのか、どこが感動するのか教えてくれ。

エレベータの醜悪さ

エレベータを素晴らしいインタフェースにしたいなら、そもそも開ける、閉めるボタンがすでに醜悪。しょっちゅう押し間違えますよね。それって、仕様が統一されていないからなのか、人間は左右の違いなんて瑣末ことだから覚えられないのか、いずれにせよ、押し間違いが発生する以上、インタフェースとしては良くない。

どうせなら、私が以前書いた記事「「開」さん、そんな文字、似合いませんよ。」のようにした方が良い。

もっと言うなら、「閉める」という行為は開いているときにしかできないし、「開ける」は開けておきたいときや閉まりかけのとき、閉まっているときにしか必要ない。それなら、「開ける」ボタンは扉の外側や、扉につけたりした方が良い。

「開ける」と「閉める」は、同時刻において、どちらかひとつしか使わないので、ひとつのボタンにすることも考えられる。だが、ひとつのボタンにした場合、ひとつのボタンにふたつの相反する動作を仕組むことになる。これはこれで醜悪だ。扉にボタンをつけるなら、「扉の開く方向へ向かう矢印」ボタンが良いと思う。「閉める」ボタンはむしろ特に必要ないんじゃないかと思う。だいたい自動で閉まるし、何ならセンサーを用意すれば、閉めるべきかどうかなどは簡単に測れるだろう。

慣れというのは、恐ろしい。普段、不便なはずのものを「便利だ」と勘違いしてしまう。あるいは、新しい便利なはずのインタフェースを「不便だ」と勘違いしてしまう。

ユーザーインタフェース、ユーザーエクスペリエンス

エレベータは、これほど醜悪なインタフェースなのに、どうして上野氏は例に挙げたのか疑問に思う。

よっぽど、鉛筆や消しゴムの方が素晴らしいインタフェースだろう。

最近、よくユーザーインタフェースについて考えるが、ユーザーインタフェースを創り出す上で、自分は次の6ステップを踏んでいる。

  1. 提出された外部仕様ではなく、ユーザーが最初に思った不満や不便さ不快さを知ること。
  2. 提出された外部仕様ではなく、ユーザーが最初にやりたいと思ったことを知ること。
  3. 知った上で、自分が同じ立場に立って、インタフェースを創ること。
  4. 創ったインタフェースを、要望や要求、何の仕様も知らない立場から使って、創り直すこと。
  5. そしてレビューを行い、また創り直したり、調整すること。
  6. そして、最後に、もう一度最初から考え直すこと。

これらの6ステップを踏んでいても、また後から要望が増えることさえある。それさえも見越せるかということも毎ステップで考える必要がある。インタフェースのデザイン、創作はこれほどに難しい。ただ綺麗だけでもダメだし、ただ要求を満たすだけでもダメだ。

そして、どんなに素晴らしいユーザーインタフェースができたとしても、評価されるのはまだ先だ。気持ちいいほどの操作感を追求して、気持ち悪いほどやりたいことを先取りしてくれる。そして今世紀最大の名画かと見まがうほどに、見栄えが美しくなくてはならない。もちろん、機敏に動作しなければならない。ユーザーの要求と潜在的な要求、そして無意識的な要求、そして要求されていないことを満たしてこそ、初めてユーザーインタフェースは評価される。

もっと、人間はユーザーインタフェースについて考えるべきだ。

もっと、人間はユーザーインタフェースについて不満を持つべきだ。

関連記事

ツッコミの投稿


(ツッコミ非公開の場合はチェック)