輝々凛々

ガンバるってことは、素晴らしい事だ。

思考術

迷ったときにどうするか?問題に直面したときにどうするか?どう考えて、どう解決するか?

その問題によって様々な解法があるけれど、その解法をグルーピングしてみると、そんなに多くないんじゃないかと思う。

その1「足し算」(他に何かないか考える。)

たとえば、事件が起きた。その時、まず最初に何か手がかりがないか探すだろう。それは問題に対して、何か条件を足していることになる。条件を足す事で、問題の全体像が見えてきて、その問題の解答を導きやすくなるのだ。あるいは掛け算的に、見つけた二つの条件から新たな条件を導いても良い。

アイデア出しの手法として有名なブレインストーミングは、これに当てはまる。

その2「引き算」(問題とは関係のないものを除外する。)

手がかりが増えてくると、今度は逆に、手がかりが多すぎて、混乱する事もある。時には関係のない手がかりだったということがある。では、その関係性のないものを除外するということで、つまり、引き算する事で、問題の本質を導くことができる。また引き算でなくても、二つの条件の一致するような部分だけを抜き出す事で、実は他の部分は過剰であることがわかることがある。これは割り算的な思考となる。

これは、あるいは、引かなかったものを「信じる」ということでもある。

少し違うが、ピクサー社で行われているブレイントラストは、人の意見を心底信じ、誰の意見であっても平等に扱い、良いものを作っていこうという会議術で、引き算の考え方にも似ている。「引かない」ということも立派な引き算だと思う。

その3「逆元」(逆の事を考える。)

事件の犯人逮捕も大詰め。そんなとき、逆の事も考えてみよう。もし犯人でないなら、ということ。自分が導きだした答えが、もし正解でないとしたら、その答えを導くに至った何かが間違えていたということになる。ならば、それは何か?ということを考える。

よくあるのは、因果の誤謬。たとえば「お爺さんの家に行くと、いつも気分が悪くなる。心のどこかでお爺さんを嫌いで、それを身体が教えてくれてるのではないか。」と思ったとしよう。身体に表れることは、心が発信していることだというのは、間違っているとは言えない。でも、身体に表れたからといって、心が発信したこととも限らない。たとえば、単に、お爺さんの家の木が原因だったというだけかもしれない。

いつも正解だと思った答えを導いたら、誤解である可能性を考えた方がいい。

また、答えだけを逆に考えるのではない。そこに至る経緯でさえも逆に考えるべきだ。自分が観測しているものを、ただ受け入れるのではなく、どうしてそうなっているのか、その表面上の事実だけは受け入れ、その水面下に潜む事象は裏を読むべきだ。

その4:「抽象化」(本質をとらえる。)

よく「具体的に考えなさい」とは言われるけれど、抽象的に考える事も大事だ。とは、森博嗣さんに教わった。たとえば、自社で作った自動車に名前をつけるときを考える。その自動車の特徴は、電気自動車で、静かで、充電も1ヶ月に1度で良い。そんなとき、よく機能的なものに名前を付けたがる。でも、たいてい、そういった名前はすぐに使えなくなる。より良い機能、より効率の良いものが出て来たときに、どんどんと苦しくなる。長く愛される名前というのは、ちょっと抽象的であり、でも誰にでもわかりやすく、親しみやすい名前なのだ。

たとえば、電気で走ることは、ガソリンに比べて「エコ」なのだ。つまり、「電気で走る」は具体的で、「エコ」は抽象的である。ここで、電気よりももっと、クリーンで燃費の良いエネルギー源が生まれても「エコ」を関した名前は使えるが、「電気」を関した名前は使えないことが抽象化の素晴らしさと言える。

ただし、抽象的すぎない方が良い。「エコ」をもっと抽象化して、「生命維持」・・・なんていっても、誰にも伝わらない。確かにエコを通じて、地球環境に優しく、経済的にも良くなり、結果、人間のみならず、地球の動植物の生命を長く維持できる・・のかもしれないが、お客さんに伝わらないまでも抽象化してしまうと、最早、意味をなさなくなる。

あくまでも、その問題の答えを観測する人にとっての「本質」程度までの抽象化にとどめておかなければならない。ただ、半歩先を行くことで、もっと価値を生む可能性が大いにある。

この考え方は、よく「一歩ひいて見なさい」という言葉で使われているかもしれない。一歩ひく事は、その問題の輪郭が少しぼけて見え、具体的なディテールが少し見えなくなることになる。

まとめ

問題に当たった時、いつも冷静に考えられる訳ではないけれど、「どう考えれば良いか」を少しでも思い出せれば、大きく問題解決能力が向上するだろう。

と、思う。

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